来 歴


明るい冥界への手紙


     ☆


このたび表記のところに転居しました
よくお訪ねした二子玉川の旧宅からは
橋ひとつ越えたすぐ近くになります
リューマチを病む手で
プリンを作って下さいましたっけ
一流の人生指南から
暮らしの知恵に到るまで
有形無形の贈りものを賜りました
お別れしてはや三回目の六月を迎えます
都わすれに野の草を添えるなど
文机の上の小さな花筐
端正な独り居の折節を思い出すにつけ
未だに整理のつかない
わが身辺を反省することしきりです

昨日もとうとう
見えない遺失物の行方を求めて
暮れるまで狭い室内を迷い続けました
これでは
始まったばかりの貴重な老年期は
探す時間と片づける時間とに
きっちりファイルされて
あの穏やかな人生の夕映えなど
眺めるいとまとてなく
消滅してしまうに違いありません

年代別に区分した
鮎川信夫資料 段ボール二杯
著作掲載紙誌と刊行書籍 小本棚一架
これらはきちんと定位置に納めました
書簡ケースの中から
美しい変体仮名で認められた
上村須美子と署名の葉書が出てきました
1950年代
電話で消息をかわさなかった頃の
なつかしい偲びぐさを
いつまでも大切に致します
母君であるあなた様を
追うようにして逝かれた方と
無事に再開を果たされて
安らかにお過ごしのことと存じます
母子同行の情景に思いを馳せながら
いよいよ明るい日日をと祈り上げます
                     K・M
翠蓮信女様

     ☆

「死人のやうに荒地を見つめる」と
この世の外に視点を刻まれましたね
「死後の世界の明るさ」については
もう十年も前に書いておられますね
ある日は戦死者の眼で
またある日は生きながら死んでいる
ソロフキ島の囚人の眼で
世の中を見極めようとした方にとって
現世と来世の位置関係を定めるなど
初級幾何の作図ぐらいに
易しいことなのかもしれません

「国立駅を降りて 右に折れ 五分
 教会の前の一郭にある家」
「市電飯倉一丁目電停まえの
 肉屋の横の通路(三尺)のつき当たり」
「中野━伊勢丹京王バス 栄町下車一分
 鉄筋アパートの一番奥
 真中のてっぺんの部屋」
転居先や会合場所を
ことばで指示した数枚の見取り図から
代数より幾何が好きだったという
少年の日の面影が彷彿とします
詩で描きとる人物図 風景図
時代の読み方 社会批評
すべての明晰さの遠い水源を
見つけ出したような気がします

生涯の仕事になるはずだった「ダンテ論」
雄大な構想のもとに
詩の世界を論断する
現代版『神曲』の筆は執られましたか
そういえば
「死にそこないのわたし」を新生へ導く
「うつくしかった姉さん」は
ベアトリーチェの変身の姿にも思えます
ツァラー・レアンダーに似た美女
ルネという名の夢の中の少女
そしてまだ誰も知らぬ御自身のお顔も
どこかに隠れているかもしれませんね
推理小説の謎を解くような
詩篇解読の楽しみを遺していただいて
とても感謝しております ではまた
                   K・M
鮎川信夫様

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